人気ブログランキング | 話題のタグを見る

動機

ひとは動機がないと行動に結びつかない。不純な動機と言うが、立派な動機だ。不純な内容に本人が問題があると言う認識なのだと思うが。

裁判でも動機が最大の争点とされている。動機もないのにひとはひとを殺さないと言うことだろう。

からだが疲れたなあとか、なんとかこのからだをしたいとか、どうにもならなくなったこのからだの具合を健康にしたいという動機から、ひとはスポーツをしたり、温泉に行ったりするエネルギーになる。そのままほっておくと寝たきりになるかも知れない。老人の多くが、寝たきりや介護の世話になるきっかけはちょっとした骨折や腰の痛みで、外に出かけなくなり、ゆくゆくは寝たきりになると言う。

外に出かけなくなれば刺激も少なくなり頭もぼける。うつにも成りやすい。真面目な人は特に生活習慣が安定していることで、毎日の計画、判断、選別が行われる機会が減る。サラリーマンが定年後に惚けたりするのが早いと言うのもそうしたことかも知れない。また、一気に老けたりして見えるのも脳が急に萎縮している可能性もある。

そこで、動機と言うことがたいせつになる。不純な動機だろうがなんだろうが、ひとが生きる上でエネルギーを使えるのはこの動機があるからだ。もはや、性欲も食欲も欲に関することは動機の源泉だと思う。

情報過多の時代にこの動機と言うものを整理するのは容易くない。自分でも、いろいろと興味があり、その興味のアイテムそれぞれにエネルギーを割くための集中力が分散されがちである。このblogも動機を維持するためにはじめたようなものだ。

動機の目的は「誰も知らない小さな国を作ろう!」というものだ。この目的に至るさまざまなシンクロニシティも動機を強化する。しかし、それを挫くような事件があったり、現実があったり、否定的な意見を言うひとが現れたりと、艱難辛苦を味わうことになる。大人になると、苦いコーヒーでも菜の花でも、その苦さが味の奥行きを作り、病み付きになることはあるけれど。

by knazy | 2004-04-09 14:37 | 動機  

<< 貨幣経済と贈与経済 理想主義と完璧主義とユートピア思想 >>