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たましいたましいというものの

たましいたましいと言いながら、たましいがあるとは認識はしていないのが不思議な点です。たましいの実体があるというように解釈すれば、肉体とたましいの分離という話も出てしまいますね。しかし、たましいなんていうのは一瞬の泡沫のようなものだと思っているので、いくらでも再生はするし、ここにあってここにないようなもの?禅問答に陥りますね。細胞が新陳代謝するようなものですし、素粒子レベルまで人間のカラダを拡大してしまえば単なるエネルギーだけの存在ですね。






しばらく、鳥かごのことを考えて、グノーシスについて詳しく調べようと思ったら、よさそうなサイトが見つかった。しばらく暇が潰せそうだ。

思想や宗教の原典は、「或る場」のなかで記されていて、その「場」のなかで「自明」であった「前提」をもとに記述されているものなのです。ところが、この場が消え失せて、「自明前提」が分からなくなってから、残された文書だけを読みますと、何のことか分からないことが一杯出て来ると云う訳です。とか、書いてあって、ちょうど今仕事先では、そういう状況にあるわけです。情報は属人的にそれぞれの頭の中にしまわれていてどこにも記録がない。多少の記録があったとしてもこちらは考古学者かというような仕事の仕方です。それも待ったなしで、進まなければなりません。

このサイトをあちこち見て回ると面白いところもありました。
年齢的・思考的・知識的 「差異」から、或ることが垣間見えて来るとも云えるのです。それが上述の「コントロール」であって、或 る「作為性」があると感じます。
差異を知ることでその裏にある作為まで分かるというわけですね。まあそうでしょう。

by knazy | 2004-09-17 12:17 | ココロのカタチ  

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